今日ワン
お久しぶりのイチコです

梅雨に入りましたねーー
梅雨っていやな時期ですよね


今年は早めの梅雨入りでした
元気いっぱいフォレスト社員の笑顔でパワーをお届にお伺い致します
もちろんケアも精一杯行います

さて今回のブログの本題に入ります

先日、私の実家の祖母が他界致しました。。
私の実家は岐阜県の緑が多く山が多くとても綺麗所です!
祖母は産まれてからずっと実家付近で暮らしていました。
そんな祖母がお年頃の時(戦争まっただ中)市川家の長男私の祖父と出会い結婚・・・

当時は戦争中でお年頃の20代後半から30代前半は離れ離れで祖父の無事の帰りを祈り続けた毎日でした・・・

そして戦争も終わり無事祖父の帰還し、ここから子育てが始まります。
私の実家は農家です。なので祖母も畑・田んぼを手伝い、野菜を売り生活をしました。

そしてアッという間に子供たちは大きくなりそれぞれ結婚・・・ただ私の父が当時にしては結婚が遅くてとても困ったとの事です。。。笑

そして私の母と出会い結婚し、祖母も一安心で隠居生活・・・とはしずに日が昇って日が暮れるまでずっと土にまみれて働いていました。
私も小さいながらに記憶にあります。

そして私が産まれ中学生になり高校受験の時に急に祖父が他界致しました。。。
その時の祖母はとてもとても落ち込み・・・

少しずつそこから祖母の生活が変わっていきました。。。
少しづつ認知症が歩みよってきたのです・・・。。

認知症の症状はゆっくりですが進んでいきました。
徘徊・・・夜間の大声・・家族で探しに行ったりもしました。

そして4年前転倒し大腿骨骨折・・寝たきりになりました。
私の事も分からなくなり、調子が良いと分かったり。。。

そんな祖母には介護がずっと必要でした。
昼間はデイサービス、あとはすべて母が行いました。

在宅で介護7年、特に大変だったのは寝たきりになってからの4年でした。

主介護者は母です。

亡くなる3か月前母から相談を受けました。

祖母を施設にいれようか・・ショートステイを利用しようか・・・
母一人では介護が難しい状態でした。

私は母の負担を考えショートステイのロングバージョンを強く勧め、実際は施設へ入れるような形になりました。。。

そして3か月後、深夜病院に救急搬送され亡くなりました。


一段落した時に母と2人おばあちゃんについて話をしたのですが、

母が泣き自分を責めました。
三カ月ならなんで最後まで自分が面倒見なかったのか・・・

ごめんね・・・と・・・

そんな母を見て私が母にした選択は正しかったのか。
主介護者の気持ちを無視し話を進めてしまったのではないか・・・

介護に正解はありません。
今回の事も何が正しいか分かりません。

ただいえる事はもっと話を聞けば良かった。
そしたら違う選択もあったかもしれない。。。

と後悔でした。。


自分が介護の仕事についていて本当に利用者様、主介護者様の声を聴いて行っているのか??
利用者様の為にと言いますが、どこかで自分主体の介護になってはないのか?


本当の声を聴き逃さないようにこれからも仕事をしていき、ヘルパー主体の介護ではなく利用者様主体の介護を目指して
行きたいです。


長くなってしまいましたが祖母の生きた証でした。

ちなみに祖母は91歳大往生でした。
曾孫も見れてすごく幸せそうでした。
そして大好きなお祖父ちゃんに会えるのでとても良い顔をしてました!!

最後までお付き合い頂き有難う御座いました。

母は気持ちを切り替え毎日笑顔でいます☆★

イチコ